人事・労務情報

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「客観的な評価」とは(2)

 

前回の記事で、評価の客観性は衛生要因であり、「一定レベルを担保することこそが重要」と書きました。

 

ところで、そもそも『客観的』とはどんな状態を指すのでしょうか?

 

辞書で調べると「見方が公正であったり、考え方が論理的であったりして、多くの人に理解・納得される様子」とあります。

 

私は、この「多くの人に理解・納得される様子」という部分に着目して、「‘主観’も数が集まるほど‘客観’に近づいていく」という考え方をとっています。

 

「あの人はカッコいい」という発言は明らかに‘主観的’ですが、「福山雅治は客観的に見てカッコいい」と言ってもほとんど違和感はないでしょう。これは、経験上「福山雅治はカッコいい」と思っている人がとても多いことを、我々は知っているからです。

 

 

このことを応用すれば、評価の客観性を担保するための効果的な方法として、『一人の人について、大勢で評価すること』が挙げられるのではないでしょうか。

 

具体的には・・・・・
「この人はマネージャーにふさわしいと思いますか」という質問を、仕事で関連する人全員に対して行い、50%以上がNOと答えた場合は、絶対にマネージャーには任用しない
部門内で評価者が集まって「評価会議」を実施する。自分の部下以外の評価についても率直に意見を出し合い、その場で評価の目線合わせを行いながら最終評価を決定する。

 

などの方法が考えられると思います。

 

もちろん、評価が多数決のような運用になってはいけないので、最初は「牽制のしくみ」として始めるのもいいと思いますが、特定の上司による偏った評価、恣意的な評価を防止し、周囲のメンバーも納得するということでの「一定の客観性」を確保していくためには、この方向性で考えていくことが最も効果的であると考えています。

 

 

逆に、我々が避けなければならないのは、評価基準の精緻化・細分化に走ることです。

 

いくら精密なモノサシを作ってみても、それで仕事の成果や能力(行動レベル)が測りやすくなるものではなく、逆に評価者による判定のブレが目立つようになるのがオチですし、何よりいたずらに運用を複雑にして皆がついていけなくなるという『迷宮への入口』になってしまうことを、過去の数々の事例が証明しています。

 

 

「客観性の担保」というのは、評価の目的ではありませんから、これに必要以上のパワーを費やすのは勧められません。できるだけシンプルな方法で一定レベルを維持し、本質的な「仕事の生産性向上につながる運用」のあり方追求に専念していきたいものですね。